ヨタ話

無名アニ関民のアニメ&映画ライフログ

機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編 (1982)

 @なんばパークスシネマ シアター9
 哀・戦士編の時よりもアムロが戦士として覚醒していき、いよいよ"ニュータイプ"らしい先読みの戦いへ。今回もスレッガーさんを始めとして相当数の戦死者が出ているのだが、不思議と心に来るようなものはなく、それこそ「悲しいけどこれって戦争なのよね」という諦観がよぎる。ソロモンとア・バオア・クーでの戦いの迫力はジャブロー以上なのだがな。

機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編 (1981)

 オデッサ作戦ジャブロー降下作戦など前作よりも身近なところで戦死者が相次ぎ、まさに「哀戦士」のサブタイトルが似つかわしい内容。特に、ジオン軍ジャブローに迫り、「哀戦士」の流れる中で名も無き兵士たちが淡々と死んでいくところはただ言葉もなく見守るしかない。
 ミハル、ランバ・ラル、マチルダ中尉、リュウさん、ハモンさん、ウッディ太尉、名のある人もかなり死ぬがそれぞれに凄惨な最期を迎えており、壮絶な戦いを象徴している。ホワイトベースガンダムの奮闘があっても厄介者、あるいは腫れ物扱いの連邦軍幹部たちを見ていると、いったい何のための戦いなのかと虚しくなってくる。

機動戦士ガンダム(1981)

 アムロガンダムに乗り込むまでの一連の流れは完璧だ、とは庵野秀明ガンダムを評した言葉のはずだが、確かにただのメカ弄り少年をどうやって連邦軍最新鋭モビルスーツに乗せるのかというのを考えたとき、父が連邦軍技術仕官だったこと、偶然手元にマニュアルが飛んできたこと、フラウたちが危機に晒されていたこととこれ以上の条件はないだろう。
 スーパーロボット大戦シリーズでのロンド・ベルのエースと司令官が若き日にどんな苦労を重ねてきたのかというのを知るのもまた一興。戦いを嫌がったり、ガンダムを降りたがったり、逆に好戦的になったりするアムロは、その経緯と相まってシンジくんが重なる。
 さすがに昨今のアニメを見てきたあとだと古さが否めないが、作品としては今も十分に戦えるのでは。